僕はいま、3人の甥っ子姪っ子がいる。 最年長は2歳の甥で、あうたびに彼の言葉のコレクションが増えており、少しづつ会話のキャッチボールができるようになってきた。そんな彼が最近ハマっている言葉がある。それは「これなに?」だ。最初その質問を彼の口から聞いた時、僕はとても嬉しくなった。彼の成長に喜びを感じると共に、彼とのキャッチボールの時間が増えると思ったからだ。しかし、その喜びはすぐに蒸発する。目に入ってくるものすべてが新鮮な彼にとって、言ってしまえば、この世界のすべてが「これなに?」なのだ。つまり、「これなに?」と言う質問に終わりはなく、質問の回数が重なるごとに、喜びが疲労に変わり、帰る頃には会話のキャッチボールだけで疲れ果ててしまう。だが、彼の底知れない好奇心に感心させられると同時に、自分の問う習慣についても考えさせられた。
(うる覚えだが)質問をする行為は、5歳あたりをピークにどんどん減っていくという話を聞いたことがある。質問よりも答えを重視することが多い学校という環境を経て大人になるにつれて、多くの人は身の回りで起きていることについて基本的な質問をする習慣がなくなってしまう。質問をすることで無知が露呈したり、相手に迷惑をかけるのではないかと心配する人もいる。しかし、子供がするような質問が、時には何らかのヒントを与えてくれることもある。インスタントカメラの「ポラロイド」はその一つの例だろう。写真を撮影して、すぐに現像できるこのカメラは、発明者であるエドウィン・ハーバード・ランドの当時3歳の娘の「どうして撮影した写真がその場でみれないの?」という質問から生まれたのだ。
質問という文脈で調べていると、『問いのデザイン』の著者である安斎勇樹氏の note を見つける。この記事の中で安斎氏は、「質問」「発問」「問い」それぞれの違いについて次のように整理している。
「質問」は、「知らない人」が「知っている人」に対して情報を引き出すための手段であり、「発問」は、教師が生徒に向かって投げかける問いかけや課題のようなもので、「知っている人」が「知らない人」に問いを投げかけ、答えに到達させるための手段である。そして、「問い」とは、対話に取り組む時点では「誰も答えを知らない」、つまり、対話を通して答えを探りあてていく、創造的な対話を促進させるためのトリガーとして位置付いている。
デザインに関する書籍や記事を読んでいると、「How might we…?(どうすれば…できるか?)」や「What if…?(もしも…ならどうなるか?)」と言うフレーズをよく目にする。これらのフレーズは先に述べた安斎氏が言うところの「問い」として用いられており、問いかけの形式になっていることが、その余白を埋めようとする思考の働きを促し、具体的なアクションを起こりやすくさせる。戦略デザインファームBIOTOPE代表の佐宗邦威氏は、アプローチに応じたこれらの問いかけ設定の重要性を説いている。
何か具体的な問題を起点にして、その解決を目指すイシュー・ドリブンな取り組みにおいては、「どうすれば……できるか?」(HOW−MIGHT−WE型)という問いかけを立てることによって、「マイナスをゼロに引き上げようとするドライブ」が生まれる。 他方、妄想を起点にした考え方の場合、問いかけは「もしも……ならどうなるか?」(WHAT−IF型)というかたちをとる。前者と対比するなら、こちらは「ゼロからプラスに引き上げる駆動力」だと言えるだろう。
佐宗氏は「What if…?」という問いを「そのビジョンを実現するには何が必要か?」ではなく、「ビジョンが実現したら何が起こるか?」といった、より大きな未来を考えるためのビジョン・ドリブンなアプローチとしてとして位置付けている。この「What if…?」の使用例として、植物由来の人工肉を製造・開発する食品テクノロジー企業 Beyond Meat と家具や生活雑貨を製造・販売する IKEA が制作した動画広告がある。
ブランドにとって、「What If…?」という問いかけは容易く使えるようなものではない。この問いかけをするということは、ブランドが掲げるビジョンの実現のためにフルコミットするという決意表明になる。そのビジョンの響きがよいものであれば、多くのファンを獲得することができるだろうが、ほんの少しでもそのビジョンに矛盾することがあれば、一瞬にして信頼を失ってしまう。それゆえに、ブランドがこのパワフルな問いを使うには揺るがない覚悟が必要となる。
このような問いは、問う側・問われる側それぞれに想像する力を求めると同時に、身の回りのあたりまえを見つめ直す機会を与えてくれる。あたりまえの中にいると、そのあたりまえに気づくことは難しい。加えて、ものごとをゼロから考えることは簡単なことでない。だからこそ、思考の補助線を引いてくれる問いかけという道具は心強い。 世の中の様々なあたりまえが劇的に変わっていこうとしている現代で、子供のような世界に対する新鮮な眼差しをもつことはとても大切なのだと思う。2歳の甥っ子から、そんなことを学んだ週末だった。
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