徐々に言葉を覚え始め、だんだんと話ができるようになったくらいの小さい子どもと会話をしていると、大人が使わないような可愛らしい言葉や、突拍子もない言葉が出てきたりして、なんとも面白いのだが、時々その子が何を伝えたいのかが理解できなくて戸惑う場面があったりもする。それに比べてその子の母親は明らかに僕が彼を理解するよりも何倍も彼を理解していて、彼が発する素晴らしく可愛らしい意味不明な言葉や文も一瞬で要約してしまう。もちろんそれは、その言葉自体を理解しているというよりも、彼がその言葉を発する前の言葉や、行動などの文脈の部分が大きいのだろう。
文芸誌の「MONKEY」vol.12 に掲載されている、シンガーソングライターの小沢健二さんが書いた「日本語と英語のあいだで」というエッセイがとても面白い。小沢さんの息子、凛音くん(あだ名:りーりー)のお友達であるゆまちゃんは、お母さんが日本人、お父さんがアメリカ人の女の子。ゆまちゃんはよく、「あるない」という言葉を使う。例えば、冷蔵庫に牛乳がないときなら「牛乳、あるない」。これはゆまちゃんが英語と日本語の両方を話すため、英語の「BE動詞を否定する」というパターンがゆまちゃんの日本語に反映されている。冷蔵庫を開けて牛乳がなければ「ミルク・イズ・ノット・ヒア」、つまり、「ミルク・イズ」で「牛乳は、ある」、そしてそれを「ノット」(ない)で否定し、「牛乳、あるない、ここに」と言っているらしい。
僕らが、この「あるない」という言葉をゆまちゃんから伝えられると、おそらく多くの人が、この子は何を言っているのだろうと戸惑うと思うが、「〇〇がない」という文には「〇〇はある」という文脈が隠れていることに気づくと、容易に理解することができるのだろう。もちろんこれは、英語と日本語の文化的な違いがあるので、そもそも隠れているという認識は持たなくていいのだが、「ない」という言葉には「ある」という訳されない言葉があるということは、ゆまちゃんが気づかせてくれた面白い発見である。
普段、相手に何か自分の考えを伝えるとき、自分が思い描いていることを綺麗に伝えるのは難しい。もちろん語彙の豊富さが伝わりやすさに影響するのは確かだが、そもそも自分の想像をそっくりそのまま相手に伝えることは不可能だとも思ったりする。僕たちは散らばっている言葉というピースを使って、想像に一番近い状態にそれらを当てはめていっているに過ぎないのだろう。 明治時代の小説家でロシア語が堪能であった二葉亭四迷は、小説「浮雲」の第二篇を書き始めた際、江戸的文章から逃れるために一旦、ロシア語で文章を書いてみたというエピソードがある。そこには日本語では表現できない「何か」があって、その「何か」を表現するために、普段とは違った場所へとピースを拾い集めに行ったのだろう。
コミュニケーションを取る際に、おそらく話し手の多くは、自分が想像している抽象的な物事をなるべく分かりやすく言語化して相手に伝えようとすると思うが、もちろんこれは簡単なことではない。後から「やっぱりこの言葉を伝えておきたかった」などということは話し手側の経験として、多くの人が感じたことがあるだろう。二葉亭四迷のように、うまく「言語化」して相手に伝える能力は、共感を生む上で、もちろん大切なことだが、相手に自分の想像を伝えることは簡単ではなく、伝えきれなかった「訳されない言葉たち」が眠っているということを考慮すると、子を持つ母のように「言語化されない言葉」をうまく理解しようとする能力もまた大切なことのように思える。
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「意図的な不細工」という美意識
ポストモダンのアートムーブメントの多くは、現状をひっくり返すために起きている。そして、若者の文化・美意識もまた、その時々の文化的規範となっているものを拒絶する傾向がある。 SNSのタイムライン、街のポスター、ワードローブやオフィスなど、いま私たちの身の回りは「ミレニアル世代的な美意識」によって形作られている。「フラットイラスト」「パステルカラー」「エレガントな北欧スタイル」「スタイリッシュなフォント」などの落ち着きのある、控えめなデザインで、幸福感、静けさ、優しさを表現している。しかし、それに対抗するように、Z世代の新しいミーム文化や美意識が台頭してきている。 この記事を書いた Lucy Mort は、ジェネレーションZの美意識を「意図的な不細工」と言う。彼らは、写真を意図的に悪く見せるためにフィルターを使用したり、ダサいタイポグラフィ、読みにくいレイアウトなどを好む。しかし、このダサさにはある種の心地よさも感じることができ、製品やブランドをより親しみやすく、よりリアルなものに感じさせてくれる。 ミレニアル世代が持つ美的感覚は飽和状態になり、容易にコピーされるものになった。新世代の消費者が持つ自己表現への強い欲求が、現状の美学に対する拒絶をより強くしているのかもしれない。その時代の美意識は振り子のように変化していく。デザイナーはこれまで良いとされてきたものを崩し、新しい世代に語りかけるのだろうか。今後の動向に注目したい。
さよなら、ハリウッド
「映画を観にアメリカへ行くことは未来を訪れるようなものでした。」と、1980年代にイギリスで育った「ガーディアン」の記者スティーブ・ローズは言う。夏休みには同級生が「E.T.」や「ゴーストバスターズ」などの新作映画を絶賛してアメリカから帰ってくる。そしてイギリスにいる人たちがそれらの映画を観るのはクリスマスの頃である。 しかし、現在コロナ危機はその状況を変えようとしている。世界中の映画館は暫定的に再開しているが、カリフォルニア、テキサス、フロリダ、ニューヨークのような主要な市場では、依然としてシャッターが切られたままである。その結果多くの人が楽しみにしているクリストファー・ノーラン監督最新作「TENET テネット」も無期限の延期となっている。もちろん、ハリウッド以外の代替作品もあるが、世界中の映画館は現在、アメリカのパンデミックが収束するのを首を長くして待っている状態である。専門家によると、アメリカの映画館が本格的に再開するのは早くても9月だという。 パンデミックによる映画公開の遅れを受けて、多くの人が思うことは「アメリカでの公開からどのくらい待たなければいけないのだろう?」から「なぜ待たなければいけないのだろう?」に変わってきている。アメリカの映画館は現在でも巨大なマーケットだが、2018年の世界の興行収入における割合は27%のみしかない。ワーナーの会長も最近、「TENET」についてはこれまでの「伝統的な世界での公開日」のようには扱わないとしている。 映画の公開日が「アメリカ・ファースト」であり続けることは、アメリカが超大国ということを保持したいだけとも思えてしまうし、映画の公開日が遅れることは、映画館やその関連企業、ハリウッド、そして映画ファンの誰にとっても嬉しいことではない。
As Tenet is delayed yet again, is it time to end cinema’s ‘America first’ policy?
The Movies We Watched

CAROL
ケイト・ブランシェット演じる裕福な人妻のキャロルとルーニー・マーラ演じる素朴で純情なテレーズ。50年代の米ニューヨークを舞台にした、自分らしくあろうとする2人の女性のラブストーリー。 2人の演技がとても素晴らしく、ため息がでるほど美しい作品です。
20TH CENTURY WOMEN
A PLASTIC OCEAN
2050年には、海に存在しているプラスチックの総重量が、魚の総重量を超えるとされています。約26億人が海に食糧を頼っていることを考えると、我々人間としてはこの問題の現状を理解するべきかもしれません。 映画の途中で、「この映画が始まってから今この瞬間までで、〇〇トンのプラスチックが生産されています。」というスクリーンに切り替わったりと、現実が心に刺さるシーンがたくさんあります。
Cool Things of The Week
