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Thanks Dirt, You Made My Lunchみんなのおいしい革命

Haru
July 5th

食がもたらす環境への影響をちょっとばかり気にするようになってからというもの、「いまを含むこれからの将来、なにを食べていこうかなぁ…」と漠然と考えることが多くなった。

生産者と消費者の距離を縮め、地産地消を促す「Farm to Table(農場から食卓へ)」のムーブメントや、動物の生命に感謝し、一頭の部位を余すことなく調理して食べる「Nose to Tail(鼻先から尻尾まで)」の概念は、多少なりとも生活の中で意識するようにはなってきたけれど、これらの考え方が完全に世の中に定着したとして、本当に現在のフードシステムが抱える課題を解決できるのだろうか。生産者の顔を認識して地元の新鮮な野菜を購入していればよい…? 動物に敬意をはらってすべての部位を存分に味わっていれば生態系に悪影響を与えることはない…?

うーん、なんとも難しい。

もちろんこれらの考え方もすさまじく重要なのだが、どうも根本的な解決には至らなそうだ。現在のフードシステムの課題はおそらくたくさんあるのだろうけど、ひとまずここでは「生態系への影響と食の持続可能性について」ということにしておこう。自然になるべく負荷をかけることなく、これからもおいしいものを持続的に食べていくためには、一部の人たちの活動だけではうまくいかないのだと思う。生産者、シェフ、消費者、これら3つの歯車が自然に配慮した態度を持つことで、きっとこれからの未来も「おいしい」はあり続けるのだろう。

なんだか食と向き合う態度をアップデートする時間がきたようだ。

……よし。未来へとつながるような、おいしいにおいのする文章を2部作の構成でつらつらと書いていくことにしよう。

桃の食べかた

ぼくらの「味覚(おいしい!)」はたどり着くべきところにたどり着いているのだろうか。この記事では、ある牛のステーキを食べ比べた際の感想が述べられている。

一方は牧草を好きなように食べ、ロッキーマウンテンの雪解け水を飲み、70エーカーの土地を自由に駆けまわりながらストレスの少ない環境で育てられた牛のステーキと、もう片方は、トウモロコシをエサとして与えられ、若いうちから食肉となるいわゆる一般の食卓に運び込まれるような牛のステーキだ。筆者は予想とは裏腹にトウモロコシ飼育の牛のステーキのほうがおいしいと感じてしまったことにショックを受けたという。一般的に、トウモロコシなどの穀物をエサとする家畜方法では環境への負荷がかかりやすい。もちろん、オーガニック飼料を使い、動物に薬等も投与せず、よりストレスの少ない環境で家畜をおこなっている酪農家もいるが、そうもいかない人たちがほとんどだろう。化学肥料を使って大量生産したエサを過密状態で飼育している牛や豚に与え、こんどは彼らを大量生産する。エサをつくる際に撒かれた化学肥料は最終的に海へ流れ込み、炭素吸収源となる植物プランクトンを破壊する。自然のサイクルにのっとっているのは明らかに牧草飼育(グラスフェッド)なのに、ぼくらはトウモロコシ飼育の牛のステーキを好む状況におかれている。もしもぼくらの味覚が正しく機能していて、たどり着くべきところにいまの味覚があるとしても、不自然なサイクルが含まれている食べものをこのまま「おいしい」としていいのだろうか。

なぜここで味覚の話をするのかというと、いまある社会システムにおいては、消費者の好みによって生産者はものをつくらざるを得ない状況になってしまっているので、環境負荷が大きいとされる農業部門(家畜を含む)において、どのような農業をするのかは、消費者がどういった味を好んでなにを食べるのかが大きな要因となるからだ。つまり、より環境に負荷のかからないプロセスでつくられているものを、ぼくらがおいしいと感じることができれば、それは食が持続可能であることへの大事な一歩になるかもしれない。

味覚を形成していく要因はおそらくたくさんあり、どの国でどういう文化で育ったかや、親がどういう料理を好み、家族がどういった食生活を送っているのかとも関係があるだろう。そして現代においては、「社会的風潮」が味覚の形成に多大なるインパクトを与えていそうだ。最近は野菜や果物の商品広告を見たり、味の表現を受けとったりするたびに、「ぼくら消費者は『甘さ』に過剰に執着しているのでは?」と思ってしまう。トマトやトウモロコシなどの野菜に甘さを求める声が多く寄せられるのも、それを象徴としているかもしれない。消費者はメディアや周りにいる人たちからその食べものに対する印象を受け、とくに意識せずに曖昧とした雰囲気のままそれが社会的風潮となる。生産者は消費者の需要を満たすためにその食べものをつくり、販売者を通じて(あるいは自身が販売者となり)キャッチーな広告とともに市場に送りだす。

懸念すべきこととしては、環境保全型農業に取り組んでいる農家がいる場合でも、消費者ベースで生産が決まってしまうこと。どんなに持続可能性に配慮している農家でさえ、ぼくらの要求に応じて作物や家畜をつくってしまう。現状ぼくらの味覚は肉や魚を好んでいるし(しかも不自然なサイクルが含まれている)、農薬が過剰に散布されているかもしれない野菜や果物も受け入れている。これらを考慮すると、農家がぼくらの要求を満たそうとすれば、自然のバランスが崩れる可能性は十分に高い。このことはリアリティとしてしっかりと心にとめておきたいことである。

ふだんお世話になっているコーヒー屋さんのバリスタがこのようなことを言っていた。「もともとコーヒー豆はフルーツ(果実からとれる種)なので、酸味が残っていることは大切なんですよ」

これまで深煎りのコーヒーばかりを好んで注文していたぼくは、その言葉にはっとさせられた。通常、コーヒー豆は焙煎することによって、香りやコク、うま味をひき出していくのだが、その度合いが高くなればなるほどフルーツ本来の味からは遠のいていく。もちろん、焙煎度合いを高めることによって新たなおいしさがでてくるし、どちらの味を好むのかは自由なのだが、もともとの素材の味に立ちもどり、味覚の形成に懐疑的になってみるという観点では、酸味にちょっとでも意識を傾けておくのは大切なことだった。

そのコーヒー屋さんでの体験のように、実はそれが自然に近いのにも関わらず、食べものの良さに気づけていないものが他にもたくさんあるのだろう。食べものの裏側を知ろうとすることはもしかしたら疲弊してしまうことかもしれないし、なにも気にせず「いまおいしいと感じているものを食べたいんだ…!」となっちゃいそうな気もするが、個人的にはなるべく自然に沿ってできたものをおいしいと感じていたいし、そうあるべきだとも思っている。そしてなるべくシンプルなかたちで食べものをいただくという姿勢が基盤としてあれば、自然の恵みに気づきやすくなるかもしれない。

かつてシェフのアリス・ウォータースがマス・マスモトの桃に感激し、(これ以上おいしくすることはできないと言って)調理することなくそれを丸ごとテーブルに出したように、シンプルなかたちで料理を楽しむことはたとえ意図せずとも、結果的にはそれは環境に良く、持続可能性があり、自然が垣間見えるとともにおいしさがある。

「おいしい」を発見することは、これから食が持続可能であるために個人ができる小さなアクションのひとつ。味の豊かさに気づきそれらに寛容になれば、それだけ「食べたほうがいいもの」「食べるべきもの」に意識が傾きやすくなる。そしてその「食べるべきもの」は必然的に自然に沿ったかたちになる気もするし、そっちのほうが本当においしい食べものなのかもしれない。これまで築きあげたある種の「強制」からくるおいしさの定義をいちど分解して、「寛容さ」からくるおいしさの定義を組み立てたい。ミルトンの言葉をかりるならば、「すべてのものが強制されるよりは、おおくのものが寛容されることのほうが疑いもなくより健全で、より慎重」なのだから。

もっともっと自然本来の味を楽しめるようにならなきゃ。

農場をまるっと?

食の持続可能性について妄想を膨らませていると、「自然になるべく介入しない姿勢」と、それとは反対に、「自然に積極的に介入する姿勢」の両方が必要となることがわかる。

「自然になるべく介入しない姿勢」では、人間の活動によって起きたこれまでの自然の変化を考えると、究極なところ何もしないほうが気候や生態系への影響が少なくて済むというのが根幹にある。食べている以上、自然にまったく介入しないことは不可能なので、影響を少なくするためには食べかたに関心をむけるのが良さそうだ。ここで鍵となるのが、なるべくコントロール量の少ない一品を食べること。たとえば、屋内での家畜でトウモロコシをエサとして育てた200gの牛のステーキが主役を飾り、農薬を使用した旬ではない野菜が少量添えられている一品の場合、それはコントロール量が多いといえる。

なるべく生態系に負荷をかけずに自然のシステムに沿ったコントロール量の少ない一品が理想だが、まだまだそれができていないのが現状かもしれない。魚を食べることを例にすると、スズキは小エビを食べ、小エビは植物プランクトンを食べる。ぼくら人間は農薬を散布し、植物プランクトンを減少させながらスズキを食べているので、食物連鎖というシステムから逸脱し生態系に負荷をかけている。

いま食べているものがなにを食べて育っているのか、どのくらいコントロールされて自分のもとにたどり着いているのかを、適切なフードチェーンやフードシステムを見つめなおすという観点でも思いを馳せなければならないのだろう。

そしてもうひとつの「自然に積極的に介入する姿勢」では、人間自らが自然の一部として生態系を拡張させていくことが根幹にある。それは植物を植えることかもしれないし、あるいは動物を育てることかもしれない。だがここでは「食べることで自然に介入する」ということを考えてみたい。

ぼくら人間は「食べること」で地球に良い影響を与えることができる。

ここで地球に良い影響を与えている基である「土壌」の存在は欠かせない。ぼくらが食べている野菜などの植物は、光合成によって二酸化炭素を吸収し、その約40%を植物の根っこを通して土壌中の微生物に送っていく。土壌にはぼくらが想像できないくらいのたくさんの微生物が存在していて、植物が微生物に炭素を渡すと微生物はこれを分解して植物に栄養となるミネラルを供給する。さらに驚くべきことに、土壌には炭素を隔離しておくパワーが備わっていて、植物が土壌中の微生物に炭素を送ると、微生物はそれを分解する際に地中に小さなポケットをつくる。空気や水分の調整をする役割のそのポケットに炭素が付着すると、土壌は何世紀もそれらを地中に留めておくことができるというのだ。

温室効果ガスの大部分を占める二酸化炭素を土壌中に蓄えることができるというこのシステムはなんとも画期的で、人間が作物を育てて食べることで地球の健康回復に貢献できるのはこのうえない素晴らしいサイクルだ。ただ、人間が体調を崩すのと同じように土壌にも健康があり、同じ作物を育て続けていると最終的には疲弊してしまい炭素吸収量も少なくなってしまう。

その対策としてもっとも効果的なのは「輪作」をおこなうこと。同じ土地で複数の作物を周期的に育てる輪作は、土壌中の養分と微生物のバランスを整える役割がある。輪作にはパターンがあり、イネ科の後にマメ科の作物を植えたり、ナス科の後にウリ科の作物を植えたりもする。

輪作をおこない、養分や微生物の多い健康的な土壌で毎回おいしい作物を食べ、地球にも身体にも優しい影響を与えたいところだが、産業型農業がそれを難しくしているのだろう。農家によっては消費者に求められる量を毎期安定して供給するために土壌に無理をさせてしまう場合もある。土壌の劣化によって作物が育たなくなると、土壌に消毒剤を混ぜたり、作物に過度な化学肥料を撒いて一時的に持ち堪えるよう状態を維持するが、薬は病気を抑える効果はあっても病気自体は治してくれない。ここでまた悪循環が始まってしまう。

では、消費者が輪作というシステム全体を食べるというのはどうだろう。たとえば、仮に地元でライ麦と大豆の輪作をおこなっている農家がいたとして、ある時期がライ麦の収穫期だった場合、ぼくらがライ麦を積極的に食卓に持ちこむことができれば、それは土壌に優しくかつ地球に優しいことになる。

土壌の健康に配慮しながら農業をおこなっている有機農家は、とくに需要がない作物であってもそれらを輪作の一環として栽培する。消費者がそれを理解し、食べたいものだけを土地につくらそうとせず、その土地でその時期に育っているいわば「いまそこにある作物」を食べることで、輪作をする農家が増えるかもしれない。多種多様な作物の輪作がさまざまな土地と農家のもとで展開されると、食の多様性が広がり生態系も拡張していくだろう。

輪作というシステム全体(農場全体)を食べることによって積極的に自然に介入していく。ぼくら人間は「食べること」で地球に良い影響を与えることができるのだ。

食に関するトピックはとても興味深い。気候変動に大きく影響し、地球や人類を破壊する恐怖な側面もあるのだけど、そこにはいつだっておいしさや美しさが含まれている。人類はどの時代も食べものに魅了されてきた…

シェフであるダン・バーバー氏の『食の未来のためのフィールドノート(原題:The Third Plate)』には大きな影響を受けていて、今回書いた文章では、バーバー氏が書いた本の内容の一部を、より消費者視点に落とし込むよう心がけた。ユーモラスなメタファーを交えてフードシステムの核心に迫る彼の構想はTEDでも楽しめるので、ぜひいちど聴いてみるといいかもしれない。

食のありかたを気にかけ始めたころは、食の問題を取り上げた地球の痛々しい様子を描いた作品を何度か観ていたこともあって、なんだか食べることの選択肢が狭まっていく感覚があったが、いまでは少しづつ知らなかったおいしさに気づくようにもなり、食の可能性がむしろフワッと広がっていく感覚にある。

食が持続可能であるためには、他にも目を向けなければならないことがたくさんあるはずで、たとえば、単一栽培の抑制や小規模農家の支援などがそれにあたるかもしれない。しかし、多くの人たちの視点に立つような「食べかた」を意識する柔らかいアプローチでも、より大きな一歩になる可能性はありそうだ。

それは決して過激な変革とまではいかないかもしれないが、これからの未来につながる、おいしい革命と言ってもいいだろう。


📽The Movies We Watched

モキシー 〜私たちのムーブメント〜

学内での男子のいじめ、性差別的な服装ルールにうんざりした女子高生のヴィヴィアン(ハドリー・ロビンソン)は、昔は反骨精神旺盛だった母(エイミー・ポーラ)と、嫌がらせに負けない転校生(アリシア・パスクアル=ペーニャ)に感化され、「Moxie」というフェミニズム運動を始める。そして、その運動が大きなムーブメントを巻き起こす。エイミー・ポーラ監督2作目となるこの作品は、90年代のフェミニズム運動を真似て、学内で活動を始める女の子を描いたヤングアダルト小説『Moxie』が原作になっている。ヴィヴィアンの親友であるクラウディア役は、「テラスハウス アロハステート」に出演していたローレン・サイ。

スリー・ビルボード

ミズーリ州の小さな田舎町で起こった悲惨な事件。あれから7ヶ月が経っても事件は一向に解決しない。しびれを切らした被害者の母ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は3枚の巨大な広告看板で地元警察に立ち向かっていく。 怒りが怒りを生む予測不能なストーリー。フランシス・マクドーマンドとサム・ロックウェルの演技が圧巻すぎて鳥肌です…

グランド・ブダペスト・ホテル

高級ホテルの名高いコンシェルジュと若いベルボーイの交友を描いたコメディ映画。コンシェルジュのグスタフ(レイフ・ファインズ)は、富裕層であるマダムを殺害した容疑で逮捕されてしまうが、ベルボーイのゼロ(トニー・レヴォロリ)を含むさまざまな人たちの協力を得ながら罪を逃れるために奔走していく。 おしゃれな衣装、喜劇感満載の描写はとてもクセになる。それにしてもウェス・アンダーソン作品のキャストはなぜあんなに豪華なのだろう…笑 今年公開予定のザ・フレンチ・ディスパッチも楽しみ🙌

ジョジョ・ラビット

アドルフ・ヒトラーをイマジナリーフレンドにもつ少年ジョジョは、ある日、母親が内緒で屋根裏にかくまっていた少女を発見する。学校や大人たちからユダヤ人に対するさまざまな教育を受けていたジョジョは、少女との出会いで自身の考えに疑問を持つようになっていく。 第二次世界大戦中のヒトラー下にあるドイツをユーモアたっぷりに描いている。エンディングのダンスは何度も見返してしまうほど良い😊


😎Cool Things

Transform the Food System

『Natoora』の創設者である FrancoFubin がホストとなって、日々の食の選択や食のありかたについてを生産者、シェフ、人類学者、科学者たちを迎えながら対話をしていくポッドキャスト。ゲストにはアリス・ウォータースにダン・バーバーも! Spotify Apple Others

How to Compost at Home

50/50 greens and browns! 『Kiss The Ground』を参考にしてコンポスティングをしてますが、堆肥に変わりやすく今のところいい感じです。

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